私が開院した理由

私が天王町整体院を開院した理由をご説明します。

開院した理由イメージ1こんにちは。院長の佐藤です。
私がこの仕事に就いたきっかけは、陸上競技に出会ったことから始まります。

運動音痴だった私

中学時代は「体育の成績が3」という運動音痴だった私。
徒競走では万年4位という足の遅さ。
運動会は大嫌いでした。 しかし唯一、他の人より得意だったのはなぜか持久走でした。
練習すればするほど速くなる。いつの間にか自分に自信が持てるようになってました。

ケガに泣かされた高校時代

開院した理由イメージ2高校入学と同時に思い切って陸上部に入部。1500mSC(障害)の選手でした。
それほど強い選手ではありませんでしたが、一日3回の練習を自ら課し、誰もがそうであったようにインターハイ出場を目標に日々トレーニング漬けの毎日でした。
当時はマラソン界も宗兄弟と瀬古選手の全盛期。夢中でマラソンの中継を見ながら、将来の自分がオリンピック出場を果たす姿をいつも描きながら走っていました。 もちろん、それは高校生の夢に終わりましたが。

しかし、高2の県高校駅伝の直前に出た1500mSCのレースで、レース中に大腿四頭筋の肉離れで全治一か月の大ケガ。秋の駅伝は棒に振りました。そして高3のインターハイ予選の県大会直前、今度はハムストリングスの肉離れ。記録は伸び続けていたのに大事なレースでは故障のために全く実力発揮ができませんでした。初めて悔しさで大泣きしました。
結局オーバートレーニングでケアが出来ていなかったのですね。 この足のケガがきっかけで、日ごろのメンテナンスの必要性を強く感じました。

ケアする仕事への夢

青山学院大学在学中は、当時日本で始まったばかりのトライアスロンに没頭。横浜の社会人チームに在籍していました。
チーム内には元プロ選手もいたので、トレーニング方法やコンディショニングの方法など学ぶことが多かったです。

この頃から、将来選手のメンテナンスをする仕事が出来たら・・・少し具体的な夢ができ始めていました。

転機となったぎっくり腰

卒業後の就職先は日本板硝子(株)。
ここで営業担当として全国各地、海外を飛び歩きました。
仕事は楽しく充実した毎日でした。
「からだのメンテナンスをする仕事」のことは頭から消えかけていました。

そして、30歳の時、突如襲ったぎっくり腰。

開院した理由イメージ3休日の外出先で全く立ちあがれないほどの激痛。
医師は「疲労ですね」の一言で、薬と湿布をくれるだけで何もしてくれない。
電気やウォーターベッドのマッサージなどを一日おきに通院させられましたが、これって何か意味があるのかな?となんとなく当時は疑問に思っていました。

その後は毎年2回ぎっくり腰をするカラダに。
また、同じ時期に寝違えがひどくなって首が回らなくなってしまいました。

今思えば、これは完全にストレスです。毎晩深夜残業、休日出勤、連夜の接待など不規則な生活・・・。
いろいろな心理社会的なストレスが重なって、からだの疲労が限界に。若いからそのストレスや疲労に気が付かなかった。

そんな自分を救ってくれたのは、当時通い始めた整体院の先生でした。
いままで味わうことのなかった爽快感。
人の手でこんなに変わるものなのか・・・ 今まで忘れかけていた「カラダをメンテナンスする仕事」のことが脳裏に蘇ってきました。

決意

開院した理由イメージ4それからはいろいろな手技療法の学校の資料や本を読み漁って、これだ!と思ったのが後に師匠となる大川泰先生の「カイロプラクティックほど素敵な仕事はない」でした。
早速、次の日曜日に説明会に参加しました。 大川泰学院長自らの説明でした。

その時大変印象的だったのは、「一発で治すような治療はこの世にはありません!」という言葉でした。
この時まで、なんとなく神業的な治療があるのではないかと期待していましたが、この言葉で目が覚めました。
そして、「君たちを食えるカイロプラクターに育てます!」と言い切ってくれた大川先生に付いて行ってみようと、その場で入学の決心をしました。他の学校説明会は結局すべてキャンセルです。

もうひとつ大川学院を選んだ理由があります。それは筋肉というものを重視していたことです。
自分自身の経験から痛みの原因はおそらく筋肉にあると常々思っていました。
他の学校ではすべて背骨の歪みだけを捉えていたので、トリガーポイントという筋肉の硬結を重要視する大川学院の特徴に興味が惹かれました。

新たなスタート

そして大川の直営院に就職させていただき、とごし銀座院で修行が始まりました。
当時オープンしたばかりで、院長と自分の2人だけ。ゼロからのスタートを経験しました。

修行は厳しさの連続。患者さんから感謝されることもあれば、厳しいクレームも経験しました。しかし、毎日が新鮮。この仕事を選んでほんとうによかった!と素直に思える自分が嬉しかったです。
大勢の患者さんとのふれあいが、将来の自分が目指すべき方向を指し示してくれました。

「誰もが気軽に立ち寄れる家族的な整体院」を作ろうと。
そして、「街のトレーナー」のような存在になろうと。

天王町整体院開院

開院した理由イメージ5

天王町整体院長 佐藤 俊一

師匠、友人、家族のおかげで、2004年12月10日、地元横浜で大川カイロプラクティックセンター 天王町整体院を開院しました。

地域に信頼され、地域に貢献する。

そんな整体院を目指し、初心を忘れずにこれからも精進して参りたいと思います。